筆者は現在44歳です。
42歳の時に、表題の通りですが、突然「人生が淡々とし始めた」感じがしました。
これまでは、カラフルな起伏にとんだ世界にいました。
この世界には面白いものがたくさんあって、まだ自分には未体験のものがたくさんあって。体験してみたいな。知ってみたいな。
自分を生かす仕事をしたいな。そして人の役にも立ってみたいな。
いろんな人に出会いたいし、まだまだ恋もしたい。何でも話し合えるパートナーが欲しい。
そんな気持ちが42歳のある日、突然消滅したような感じがしたのです。
世界のことは、もうだいたい分かった気がしました。
いや、わかってないことや未知のこともたくさんあるのは知っていますが、そのことも含めて、「知らないまま、未知なままでも問題ない」と、「わかって」しまった感じがしました。
仕事も恋も、淡い期待よりはるかに上回る「新しいことは疲れるなぁ。一人でいるのが楽でいいや」。
カラフルだった世界が色あせて感じました。
はじめは、「うつ」を疑いました。
人生の前半で得たもの、私の場合は学歴(を獲得したことで得られるメリット)や仕事や家庭(結婚)、これらは全部手放して、私の手元には何もありませんでした。
気が付いたらたった一人、だだっ広い平坦な世界にポツンといる。
この先もきっと淡々と毎日が続くんだろう。ただ老いていくんだろう。
そういう思いにとらわれて日々を過ごすことになりました。
ちょうどコロナが始まったころです。
そんな時にphaさんのこの日記を思い出して読みました。
自分のスペックで遊べるもの全部遊んじゃった感、すごいわかる。自分の中のストックはいろいろあるんだけど、新しい刺激があまりないんですよね。昔は本屋に行くとあんなにいつもワクワクしたのに、今はあまりワクワクしない。かといって新しい面白を探す気力もない。
中年の危機について - phaの日記
自分ができることの限界が大体見えてきたというのもある。何十年も生きたおかげでいろんなことができるようになったけれど、大体自分が人生でできることはこれくらいの範疇で、それ以上にはならないんだろうなというのが予想がついてきてしまったというか。
中年の危機について - phaの日記
わかる、すごいわかる。
みんなこの「感じ」になるのか。
そうか、じゃあ、これは「うつ」ってわけではないんだな。
私も正真正銘の中年になったってことなんだな、そう理解しました。
でも、理解したところでこの「むなしい感じ」は消えないのです。
自分の人生の前半でやらかしたことに対する罰ゲームがいまなのか、そんなことすら考えてしまいそうになります。
そのころが、私にとっては中年1年生の一番しんどい時期でした。
人生の「空白」を味わうことがへただった癖に、「刺激的な若い時間」を過ごすことももはや興味を持てなくなり、板挟みだった時期だと言えます。
こういうのが全部嫌で「面倒くさいからもう悟ろう」と思い、仏教の本(初期仏教から始まり、法華経にたどり着きました)を熟読しつつ、毎日瞑想をしていました。
そのことが効果があったのかはわかりませんが、ある時、「生きているうちに何かを成し遂げないとならない」という思い込みを捨てることにしました。
最近私は自閉スペクトラム症の診断を受けました。
自閉スペクトラム症(アスペルガー)の特徴は非常に目的志向的だということなんですね。
目的がない状態というのが落ち着かなくて不快で不安に感じてしまう。
だから、人生にも、人生をセグメント化した1日単位にも、目的があったほうが生きやすいのですが、それは特性ゆえのことだったのかもしれません。
目的がなくても生きていていい、そういう「考え」があるんだなと、理解するところから始めました。
この平坦な人生に、自分なりの淡々とした毎日を、ただ淡々と過ごしてみよう。
そんな風に思って、毎日目的のない時間を積み上げていくことにしました。
そして、今もその気持ちと日課は変わっていません。
虚無の中にありながら、一日があっという間に過ぎていきます。
昨年から占い師としての活動をしています。占いのお弟子さんも14人いて、日々人の悩みの鮮やかさに触れている毎日です。それが「楽しい」と思えます。
昔のようなワクワクドキドキキラキラした「楽しい」ではないのですが、「楽しい」のです。
虚無感は消えないのですが、やれることはある、中年に対して少しこなれ感が出てきた今日この頃です。
大事なのは、この虚しさに流されて犯罪とか自殺とか起業とか仮想通貨に全財産ぶっこむとかそういう大きなやらかしをしないように気をつけることですかね。虚無を虚無として受け入れること。しょせん人生なんてこんなものだ。みんな通る同じ道だ。
中年の危機について - phaの日記
劇でいうところの「主役」とは虚無を持たない人のことなのだろうと思います。
占いに来る、悩みを抱え、怒りにとらわれた相談者さんは私にとって主役であり、占いのお弟子さんたちも主役です。
虚無を知り、虚無を受け入れた私は「主役」の人をまぶしく見ながら生きています。
主役時代は、そんな虚無を抱えた人生を送るのは受け入れられない思っていました。
虚しさに対抗するために刺激を求めるのではなく(主役に戻ろうとするのではなく)、
虚しさの中にただいることを許す、それができるようになってから、
淡い時間が流れるようになりました。